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TOPOPHILIA(トポフィリア)とは、 「人々と場所、あるいは環境との間の情緒的な結びつきのことである。概念としては曖昧であるが、個人的な経験としては、生き生きとした具体的なものである」。 『トポフィリア』[1]の著者、イーフー・トゥアン[2]は、他方では次のようにも書いている。 「それは―おそらく初めて―人間が場所への愛を育むさまざまなやり方すべてを議論するための全体的な枠組みを提示している」
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私は、長年取り組んできた「10都市を、“同じ方法論”[3]で撮る」ということと、イーフー・トゥアン氏の提唱した、『トポフィリア』の、大らかで独創的な定義とが、本質的に同じであると直感した。
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また、この作品には写真から投げかけられる都市への観察と分析へのいざない、それに対応する様々な対比が用意されている。それは、この作品が放つメッセージが、“都市”を肯定的に捉えたものでありたいと、私が強く願っていた結果にほかならない。
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私は2005年に、東京とパリの比較都市論の試みとしてこの写真作品に着手した。
その後、世界の8都市(東京、パリを含め10都市)を同じ方法論で撮影する、という計画を立てた。
私が、世界の10の大都市を撮影の場に選んだのは、都市に共通した規則性や普遍性、あるいは偶然性といったものを呼び覚ますことがねらいだった。そのためには、最低でも10都市のデータが必要だと考えた。
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そして、都市の周りを取り囲むように環状線がつくられ、それを基盤に発展している大都市を地図上で探し出した。
また、アジア、ヨーロッパ、北米を網羅し、その中でもとりわけ過去、現在、未来を象徴するような10都市を選び出した。(しかし、この都市の選出には多少の偏りがあることは自ら認めざるを得ない)
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東京と、パリ以外の8都市は、すべて私が初めて訪れた都市だった。
ほぼ1カ月間(或いはそれ以上)1つの都市に滞在した。
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そこでの生活はシンプルなものだった。朝、夕それぞれ1度の撮影を行い、日中は撮影地の下見をし、そして街を黙々と歩いた。私はできるだけ街路の空気に触れ、雑沓の中に身を置き、感覚を研ぎ澄ませた。それは自ら設定した“同じ方法論”を踏まえ、都市を写真表現にどう持っていくか、という問題への解決策であった。強い規制の中でどう感情や感覚や情熱、そして臨場感あふれる写真を獲得するか、という最も大事なテーマに答えようとするものだった。
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私が自ら設定した“同じ方法論”は、10都市の比較をより明確にした。
都市には実に多くの要素が入り乱れているものだが、同じ切り口で撮影することによって都市の個性や独自性は、その姿を大いに出現させた。
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ニューヨークは、都市の構造や建物の造形という点でロンドンを手本にしていた。
また、ニューデリーには、イギリス人建築家が建てた“コンノートプレイス”という、都市の象徴がある。巨大な円形の広場を拠点に放射状に道路が延び都市が広がっていくのだが、それとは別次元のところで、貧富の差による住居区分が際立っていた。そこには階級社会の縮図といったものが、肌で感じられた。
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東京人の服装や持ち物と、ニューヨーカーのそれは酷似しており、ファーストフード店やコーヒーショップのチェーン店が、両都市で同じように軒を連ねる様子が見られる。両都市を比べると、東京における敗戦とアメリカによる統治の歴史と、その後の現状が、今更ながら実感されたのである。
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これらは私が1つの都市に1カ月滞在し、街を歩き回ることで徐々に頭を擡げ、最後の頃にははっきりと認識された実感だといえる。
歴史や戦争、民族、貧困、文化、政治といったあらゆるものがどの都市にもつまっていた。
しかし、これほど如実に感じられたことは、大きな驚きだった。
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今、10都市の撮影を終え、出来上がってきた写真を見渡すと、そこには私の捉えたその都市についての世界観があり、ひとつの都市が“ギュッ”と凝縮された姿があった。
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2012年4月
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1:『トポフィリア–人間と環境』は、1974年、アメリカとヨーロッパで出版され、日本でも翻訳された。
参考文献:『トポフィリア–人間と環境』イーフー・トゥアン/小野有五、阿部一=訳/ちくま学芸文庫/2008年4月発刊
2:1930年天津生まれ。中国生まれの、アメリカ合衆国の地理学者。「人文主義的地理学」「現象学的地理学」の提唱者。
3:撮影は春か秋(一部の都市は除く)各都市の都市を取り囲む環状線(環状道路、鉄道、城壁等)を基準にそこから都市の中心へ向けて撮影をする。各都市およそ25地点(25日間)の撮影を行う。撮影時間は、日の出1時間後、日の入り1時間前。カメラの高さは、地面から1.6メートルで、水平を保つ。使用機材等(4×5インチ・フィールドカメラ/コダックTXP320/150ミリレンズ/絞り値F45)
由良環写真集「TOPOPHILIA」に寄せて
中里和人|
写真家・東京造形大学教授
「TOPOPHILIA」と名付けられた由良環の膨大な写真がある。2005年東京とパリの2都市の撮影から始まり、2011年最後の10都市目のモスクワで完結している。
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撮影の手法はすべて同じで、日の出1時間後と日の入り1時間前の同じ場所で撮影された光景が、合わせ鏡のように展開されていく。
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朝夕ペアになった同じ場所の光景を目にしていると、間違い探しでも始めるように、左右の風景を何度も見較べている自分に気づく。
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それは、都市の景観を一瞬にして定着させ、膨大な情報やイメージをドキュメントしてしまう写真特有の描写力にもよるが、同じ場所でありながら、時間帯をずらしただけの2枚の景観の差異からは、光の違い、湿度の違い、人や車の往来の違いなど、都市空間の微細な表情の違いを読み取ることができる。ふと、ほとんど動かない場所で、わずかな角度の違いにより怒りや平穏の感情を生み出してしまう、能面のしぐさを思い出してしまった。
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この撮影方法においては、チャンスは1日に2度しかなく、1日に1ヵ所ずつ重たい4×5カメラを携え、双六のように前進していく姿からは、どこか修行にも似た都市巡礼者のようにも思えてくる。写真家は、同じ場所を1日に2度訪れ、時間の入れ替わった景観とクールに対面することで、都市空間に流れる微細な空気の質をつかみ出すことに成功したと言える。
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撮影方法の細部にもどると、それぞれの都市でヘソのような中心点を探りだす。そこを起点に、都市の心臓部を巡る大動脈のような循環道路や鉄道を見つけ出す。そこでようやく、サークル状の路線に沿って撮影が開始される。
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そこでもう一度、撮影場所として選ばれた61ヵ所、122枚の写真を駆け足で眺め返してみると、そこに並んだ写真からある特徴が見えてくる。
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撮影された10都市は、誰もが知っている大都市である。パリならエッフェル塔や凱旋門、北京なら天安門、ニューヨークなら自由の女神やセントラルパーク、ロンドンならビッグベンというように、どこにもシンボリックなランドマークがある。
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しかし、写真家は都市を巡る環状線に沿って撮影を行ったことで、シンボリックなランドマークなどから解放され(一部遠景に凱旋門があるが)、陳腐な都市イメージの記号に陥ることを免れている。
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その都市の中心を循環しながらの定点観測的な撮影は、映画の野外ロケで見られるレールを移動していくカメラワークのようであり、カメラが内蔵された特別車両がゆっくりと都市を測量していくような、清々しい視線が生み出されている。
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このような撮影へのアプローチは、土地の景観を調査研究していく、地理学者や、都市景観を観察する建築家の眼差しにも似ていて、今回の「TOPO-PHILIA」という写真集のタイトルが、地理学者の提唱した概念であることや、由良が大学で建築を学んだことにも由来しているように思われる。
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さらに、個人的な恣意性を極力抑えた、タイポロジー的な手法の写真表現が、都市空間の日常的なランドスケープを鮮明に浮上させているともいえる。
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最後にもうひとつ、この写真集から私が読み取ったことは、現代の都市景観の遥か彼方にある、都市の誕生の場所を選定した、視覚化しづらい人類の智慧のようなものである。
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人は初めて出会った目の前の風景とどのように対峙し、読み解き、選び取るのだろうか? 例えば東京が、海や河川に面した原生林や草原だった頃を想い描くと手がかりになるかもしれない。
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現代から江戸、鎌倉、弥生、縄文と時間軸を移動していっても(文化的時代的な価値観が異なるものの)、太陽(日当り)、水(川、海、沢)、風の流れ、温度、植生、土壌、水はけ、湿度など、人間が暮らしていくための自然条件に関しては死活問題でもあり、真剣に読み取ってきていたはずである。だから、自然との距離が近かった時代においては、目の前にある風景を察知する動物的なセンサーは直ぐに作動しだしたに違いない。
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それら気象、地象のエレメンツは、地球という天体が持つ、土地による環境の個性と言い換えることもできる。その個性は、人間の生活や経済活動にとって欠かすことができない重要な要素であり続けている。
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ここにある、長い時間をかけて成長してきた、都市空間やランドスケープも、かつてその地を最初に見つけ出した、先人の先見性によるところが大きいといえるだろう。
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しかし、原生林が消え、田畑が消え、土が見えなくなり、ビルやアスファルトの道路が縦横に走る現代の都市景観になっても、人類は棲息環境を変化させつつ都市で生き続けている。写真家が捉えた10都市の景観からは、前近代、近代、現代という、都市が形成されてきた長い時間の堆積がはっきりと見える。そして、都市空間のビルの谷間や、路地のすき間、木陰の下には、今でも気象、地象の大事なエレメンツがたたずんでいることを感じることができる。
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世界の10都市を巡る世界一周撮影行は、7年間の歳月をかけ写真集にまとまることで完成した。
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写真家の都市を肯定する眼差しは、見る側に時空を飛び越える自由な跳躍力を与えてくれる。そしてこれからも続く、都市で棲息していく人類の未来をも予見しているようである。
パリの街には、形容詞がよく似合う。
優美で、時に神々しいほど荘厳な目抜き通りやお屋敷街。
シックで洒落たカフェやバーの集まる坂道通りには、センチメンタルな雰囲気が漂い、荒廃した毒々しさで充満した場末の路地裏にさえ、ひとりの人間の 人生の重みがずしりと感じられるようだ。
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わたしは、何百年もの歳月を積み重ねてきたこの都市の、核の部分を撮りたいと切望していた。
それは、多くの人間の営み、様々な歴史の出来事を一挙に引き込み、抽象化してパリの街に投影させたものをフィルムに写しとるという作業だった。
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それができたのかは分からない。
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しかし何とかその内側に入り込んで、パリという都市の存在理由に迫りたいと考えていた。
その、パリの街への執着は、自己の内省へと向かう不可思議なエネルギーに 支配され、自身とパリの街とが繰り返した果てしない対話の集約として この作品が形づくられた。
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ひとつの哲学を追い求め、繰り返し反復し、少しづつ構築していく-という意味を込めて「Philosophical approach to Paris」のタイトルをつけている。
2002年秋、私は“ラフレシアを探して”と題した日本人の女性アーティスト35名の
ポートレート作品と、作品についての文章も併せて発表した。(ギャラリーQ・東京)
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当時私は漠然と「女性のポートレート写真が撮りたい」と思っており、ひとつ“アーティストの女性”という括りを設けてみた。
それは私が一人の作家として、自分以外の女性アーティストの制作の姿勢や考え方にたいへん興味があり、たくさんの方に会い、話をし、知りたいと思っていたからだ。
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私は展覧会場やアトリエなどに出向き、作品の趣旨を説明して理解を頂いたのち、
別の日に撮影と取材をさせていただいた。
撮影では、光と影を大切に・・・そして人物の内面の強さを引き出したいと考えて撮っていた。
また、ポートレートを撮る事以外に彼女たちの作品について話を聞き文章にまとめるというもうひとつの行為は、単にポートレート作品を撮る事とは明らかに違っていた。
私に、彼女たちへの理解を一層深めさせ、それが写真を撮る際にも深く影響していると感じることができた。
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その後、男女問わずアーティストを撮ってほしいという依頼があり、男性のアーティストを撮る機会が増えた。
だが“ラフレシアを探して”が、私のポートレート作品の原点だったと今でも思っている。
10ヵ月弱の間に40人近い女性アーティストに会い、撮影し、話を聞き、文章にまとめ上げていったあの濃密な時期は忘れ難く、一人一人の方と撮影の間に交わした言葉や、インタビューの際に過ごした時間は、10年以上経った今でも断片的に鮮明に思い出すことができる。
快く取材に応じて下さった方々に深く感謝します。
“ラフレシアを探して”
- 現代美術作家/21名
- 写真家/10名
- イラストレーター/4名
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“アーティストポートレートシリーズ”
2003年から始めたこのシリーズでは、依頼を受け様々なジャンルのアーティストのポートレートを撮影している。 最近はミュージシャンのポートレート撮影が多く、現在も継続中
この作品「都市をめぐって」において私は、時代から取り残された、時間軸のズレた場所や建物」をキーワードに撮影ポイントを探し、カメラに収めてきた。
更に言及するなら、打ち捨てられ人々から忘れ去られたような場所や建物-それ故に、時に過去の風景がそのまま残っていることを意味していた。
それは、開発や都市化そして“進化”の象徴と言える大都市「東京」の 典型的なイメージに対して、明確な対比を見せるものであった。
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私はこのシリーズで4×5サイズの大判カメラを使用した。
その当時私は、都市や建物を撮る作品に対して大判カメラを使うことにしていた。この撮影機材一式は重く持ち運びは大変だが、都市や街の本質を捉えるにはとても相応しい装置だから、という理由で使っていた。
総じて、建築は巨大な怪物であり、こちらもそれに見合う心構えと装備が 必要になってくるという考えからの選択だった。
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又私は「都市や建築物の撮影に於いて、終始一貫した視点による注意と配慮が必要だ」という独自の考えを持って撮影にあたった。
都市の中での位置や存在性、建築的な構造、人の流れ、その建物の歴史的背景、そういったものが何を提示をしてくるのか、その意味について考え、同時に学びながら、私はカメラを構えた。
2013年冬、フランスのパリとヴィトレ
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“人間と環境”という大きな括りの中で、この作品では大都市と地方都市をテーマ
に設けている。 人と環境との相互作用を、写真表現によって抽象的にあらわそうと
いう取り組みだ。
具体的には、ひとつの国の大都市と地方都市を順に撮影することで、それぞれの
特徴を浮かび上がらせることがねらいだ。
フランスと中国を撮影地として選んだ理由は、前作“TOPOPHILIA”に於いて
世界の10都市に滞在して撮影を進める中で、特に興味と可能性を感じたのが
この2ヵ国だったからだ。フランスと中国を別の(写真の)テーマで、より掘り下げて
撮影をしてみたいとずっと考えていた。
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フランス
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[パリ]
多くの大都市の中でも、パリは人と街の距離がとても近い関係にあると思う。
その一方で、大都市特有の閉塞感が感じられることも否めない。
そんな都市の中で、人々がどのように移動し、活動しているのかに興味が湧いた。
パリでは都市のスピード感というもの―街の中での人の動きと、街と人との距離感に着目した。
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[ヴィトレ]
ヴィトレはパリから西に200キロ程に位置するブルターニュ地方の小さな田舎町で、街の歴史は古く、優に1,000年の都だ。 ここでは家、塀、建物など、街の造りに着目した。 そして、長い歴史に見守られながら静かに時が流れていく街の空気を、建築物に見る時間軸をキーワードに写し撮りたいと思った。
2014年春、中国の上海と紹興
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“人間と環境”という大きな括りの中で、この作品では大都市と地方都市をテーマ
に設けている。 人と環境との相互作用を、写真表現によって抽象的にあらわそうと
いう取り組みだ。
具体的には、ひとつの国の大都市と地方都市を順に撮影することで、それぞれの
特徴を浮かび上がらせることがねらいだ。
フランスと中国を撮影地として選んだ理由は、前作“TOPOPHILIA”に於いて
世界の10都市に滞在して撮影を進める中で、特に興味と可能性を感じたのが
この2ヵ国だったからだ。フランスと中国を別の(写真の)テーマで、より掘り下げて
撮影をしてみたいとずっと考えていた。
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中国
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[上海]
上海はとてつもない大都市だ。 しかし庶民的な長屋や下町風情の多く残るエリアが
大半を占め、高層ビル群のある浦東エリア(新開発地区)では、まるで別の時代に行ったかのような錯覚さえ覚える。
また、上海にはかつて外国の列強が租界地(居留地)を発展させていた過去の歴史の
影響が街の造りや建築物に色濃く残っており、それが中国の庶民的な街並みや
暮らしと同居し、共存している点が大きな特徴だ。
そんな複雑な歴史とダイナミックな都市の構造を持つ上海の街に魅力を感じ、
“都市のはざま”を記録したいと思った。
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[紹興]
浙江省・紹興は上海から約200キロ南に位置する地方都市だ。
水路が網の目状に張り巡らされたこの土地では、古い建築様式の家々と昔ながらの
暮らしが脈々と受け継がれていた。市の中心こそ都市部だが、その周辺には
のどかな田園の風景が延々と広がっている。
人々とこの土地の関係性を、暮らしを見つめる中で記録したいと考えた。
由良環
中里和人